カラヤンとベルリンフィル研究ブログ

ジェームズ・ゴールウェイ|元ベルリン・フィル首席フルートのエピソードと名演の記録

2025年12月11日 当サイトにはプロモーションが含まれます

元ベルリン・フィル首席フルート奏者、サー・ジェームズ・ゴールウェイ。 カラヤン黄金時代を支えた名手でありながら、華やかな成功と孤独、そしてベルリン・フィル退団まで―― ここでは、在籍時のエピソードや人となりを、映像とともにご紹介します。

世界最高のフルート奏者 ジェームズ・ゴールウェイとは

サー・ジェームズ・ゴールウェイ(1939年・北アイルランドのベルファスト生まれ)は、 多くの人から「世界最高のフルート奏者の一人」と称される名フルーティストです。 1969年から1975年までベルリン・フィルの首席フルートを務め、まさにカラヤン黄金時代の主役の一人でした。

ゴールウェイの音色は、他の奏者には真似できないほど洗練されており、 柔らかさと輝き、声のような表現力を兼ね備えています。 まさに「芸術品」と呼ぶにふさわしいサウンドです。

↓ 私が特に好きなシューベルト《アルペジオーネ・ソナタ》。来日公演時の映像です。

英国の一流オーケストラで経験を積む

ゴールウェイは、ロンドンの王立音楽院ギルドホール音楽学校、 さらにはパリ音楽院で研鑽を積みました。 その後、サドラーズ・ウェルズ・オペラ、コヴェント・ガーデン王立歌劇場でオーケストラ奏者としてキャリアをスタートさせます。

そこで約7年間経験を積んだのち、 BBC交響楽団ロンドン交響楽団ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と イギリスの一流オケを次々と渡り歩き、ソリストとしての実力と自信を高めていきました。

ベルリン・フィル入団オーディション

そんな中、ベルリン・フィルの首席フルートであったカールハインツ・ツェラーが ソロ活動専念のため退団し、ソロ・フルートのポストが空きます。 1969年1月27日、ミュンヘンのドイツ博物館で行われたオーディションに、ゴールウェイも挑戦しました。

多数の応募者が集まる中、ゴールウェイは遅刻して最後の演奏者として登場。 しかし一度吹き始めると、その色彩豊かな音色と圧倒的な音楽性で 団員たちを驚嘆させたと言われています。

ゴールウェイ自身も「カラヤン着任後、自分を超えるフルート奏者はいなかったはずだ」と語るほど。 また彼は、ベルリン・フィル、とくにチェロセクションを 「ケタ外れのテクニックと音色」と高く評価していました。 互いに互いの凄さに驚き合う―― それが当時のベルリン・フィルだったのでしょう。

こうしてゴールウェイは、わずか2日後の1月29日に 世界最高峰オーケストラの首席フルートというポストを手にすることになります。

黄金期のベルリン・フィルとゴールウェイ

在籍中、ゴールウェイは数々の名録音を残しました。 ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》、第7番、第8番、 ドヴォルザーク交響曲第8番、《牧神の午後への前奏曲》、 《ペール・ギュント》〈朝〉など、フルートが活躍する名曲ばかりです。

ファンにとっては、あの華やかなフルートの音色こそが 「カラヤン&ベルリン・フィル黄金時代の象徴」と言ってもよいかもしれません。

ゴールウェイ、ベルリン・フィル退団の理由

しかし入団からおよそ6年が過ぎた頃、 ゴールウェイはオーケストラの人間関係や環境に馴染めず、カラヤンに退団の意思を伝えます。 カラヤンはオーボエのローター・コッホらに説得を頼みますが、決意は固く、 1975年7月、ゴールウェイはわずか6シーズンでベルリン・フィルを去ることになりました。

当時のベルリン・フィルでは、定年退職時に記念品として金の腕時計(ロレックスと言われることも)と 退職金の小切手が贈られた、という話も残っています。 いかに特別なオーケストラであったかが分かるエピソードです。

とはいえ、短い在籍期間のおかげで、 私たちは前述の名曲たちにおける若き日のゴールウェイの姿と音を記録として楽しむことができます。 ファンとしては本当にありがたい限りです。

ゴールウェイと日本のフルート ― ムラマツへの愛用

ゴールウェイは長年、日本のムラマツフルートを愛用していることでも知られています。 ムラマツは世界中のトッププレイヤーが使用するブランドで、 アマチュアにとっても“憧れの一本”と言える存在です。

映像で楽しむゴールウェイとカラヤン

下の動画は1979年収録のドキュメンタリー。 途中で突然カラヤンからのビデオレターが入り、「ハロー! ジミー」と呼びかける場面があります。 ゴールウェイの爆笑と、カラヤンのどこか寂しそうな笑顔が印象的で、 二人の不思議な距離感がよく表れています(39分45秒あたり)。下ではちょっと日本語に訳してみました。

やあ、ジミー! こんな出会い方は変だけど、私たちは本当に良い時間を一緒に過ごしてきましたね。

ある日、突然あなたは「辞めます」と言ったよね。

たぶん、あなたが築き上げたキャリアへと進むべき時だったのでしょう。そのキャリアは私たちが耳にしてきたすべての中でも、あなたを頂点へと押し上げたものでした。

私たちの記憶の中でも、フルーティストがこんな短期間でこれほどの成功を収めた例はありません。

さらに、1973年の来日公演。NHKホールで行われた ドヴォルザーク交響曲第8番のリハーサル映像では、冒頭からゴールウェイが登場します。 特に18:53あたりのソロは必見・必聴。類まれな才能が炸裂しています。

私自身も1988年頃、昭和女子大人見記念講堂で行われたモーツァルトの協奏曲公演を聴きに行きましたが、 あの音色の美しさ、音量コントロールの凄さにはただただ感動するばかりでした。

ゴールウェイ語録 ― 自叙伝から見える素顔

ここでは、ゴールウェイの自叙伝から、カラヤンやベルリン・フィルについての 印象的な言葉をいくつかピックアップしてご紹介します。

世界中に轟くカラヤンとベルリン・フィルの名声

議論の余地なくすべての指揮者中の皇帝と目されているに違いない人間と共に演奏するという考えには無限の吸引力がありました。ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニーは、さながら導きの星のようにそんな私を招き寄せたのです。

オーディション

カラヤン「よし、次はカデンツァ(モーツァルト)を吹き給え!」、「よろしい、良かった。次はダフニスとクロエだ!」「牧神の午後だ!」「よろしい、次は英雄の生涯をやり給え。」そしてブラームスの4番が終わると「外で待ち給え!どうもありがとう」とカラヤンは言った。

合格

シュトレーゼマン博士(BPO事務局長)は私に向かって真っ直ぐ歩を進めると、いきなり私の手をぐっと掴み、「おめでとう!いまやあなたはベルリン・フィルハーモニーの首席フルートですぞ。さて、いつから仕事が始められますかな。」と言った。

団員の凄まじいプライド

ベルリン・フィルハーモニーというオーケストラでは、メンバーひとりひとりが強い自己主張を持っており、ほかのだれにも勝って自分が光彩を放とうとしているという事実を、つくづく身にしみて感じ取っていました。

ローター・コッホ

本番中に譜面を落としそうになったことを、演奏終了後ローター・コッホ(Ob)に言ったら返ってきた言葉がこうだ。「そんな話僕にはまったく興味がないよ」。

ベルリン・フィルのステータス

私はおそらく生まれて初めてここで、世にステータスと呼ばれているものがどんなものかを肌で知ることになったのだった。ここでは、ベルリン・フィルの第一フルートの職といえば、音楽の世界の外に住む人々にとっても一廉の意味を持っていました。

芸術家カラヤンと「ロック奏者」ゴールウェイ

写真であろうと映画やテレビであろうと、ハービー(カラヤンの愛称)は絶対に私の姿をカメラに撮らせなかったのです。私が演奏する番が来ると、カメラは画面に私の姿が映らないように角度を変えるのです。これには参った。

自宅でベートーヴェン交響曲第8番演奏会

新居となった住まいは文句のつけようのない素晴らしいもので、ある年のクリスマスにはなんと楽員全員を招待できたほど広かった。この時、近所の人たちへのサービスとして、わがベルリン・フィルハーモニーによるベートーヴェンの第八交響曲が、わが家において無料で演奏されました。

孤独

周囲の環境に適応することができないまま、私は精神的に多くの問題を抱えていました。私にはまともに話し合える人が全然いなかった……。

あとがき ― ゴールウェイが残したもの

ゴールウェイはベルリン・フィル在籍中に離婚・再婚を経験し、 前妻との子どもは現在、一流のトランペット奏者として活躍していると言われています。

ベルリン・フィル時代、彼には「気軽に冗談を言い合える仲間がほとんどいなかった」とも語っています。 それはベルリン・フィルの団員が性格的に冷たいというより、 極度に真面目でプロ意識が高く、気さくなゴールウェイの冗談に応じる余裕のある人が 少なかったのかもしれません。

それでも6シーズン在籍してくれたおかげで、 《アルルの女》《ブラームス4番》《ベートーヴェン7番》《ドヴォルザーク8番》、 《牧神の午後への前奏曲》《ペール・ギュント》〈朝〉など、 フルートが大活躍する録音を数多く残してくれました。 ファンとしては本当に感謝しかありません。

もし「数十年ぶりにゴールウェイが古巣ベルリン・フィルに戻る」なんて企画があれば、 世界中のファンが歓喜することでしょう。 再びベルリン・フィルのフルート席で、交響曲を吹く姿を見てみたいものです。

私が初期に購入したレコードの中にも、ゴールウェイの一枚があります。 そのジャケットで、彼がバイク事故(車に当てられた)に遭ったことを知りました。

ジェームズ・ゴールウェイ公式サイト(英語)も、 活動の近況やプロフィールを知る上で参考になります。

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