カラヤンの何がすごいのか?(エピソードなど)
2021年9月11日 当サイトにはプロモーションが含まれます20世紀の大指揮者カラヤンの何がすごいのか?カラヤンファンの私がわかりやすくご説明致します。
ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤンは1908年4月5日、オーストリアのザルツブルク生まれの20世紀を代表する名指揮者です。
「Herbert von Karajan」と書いて「ヘルベルト・フォン・カラヤン」と読みます。ハーバート・ボン・カラジャンとは読みません。
1954年11月30日のフルトヴェングラー急逝をきっかけに、翌年1955年にベルリン・フィルアメリカツアーに同行、その後、終身指揮者として正式に契約します。ザビーネ・マイヤー事件などがありましたが、1989年春までベルリン・フィルと音楽活動を送りました。
そして、テレモンディアールという会社も設立し、自宅地下に編集室を作り映像メディアを自ら製作・指揮もします。その膨大な音楽資料はスイス銀行の金庫にいまだ眠るものもあるとのことです。
下の動画は1959年来日の様子です。
カラヤンの何がすごいのか?
まず、カラヤンについてあまり知らないという方のために少し説明しますと、カラヤンは20世紀を代表すると言っても過言ではない名指揮者なんです。
桁外れのカリスマ性
カラヤンのすごいところは、まずカリスマ性。統率力が格段にあるのです。 何十人もの団員の演奏をまとめるには指揮法だけでなく作曲家の想いとか・・音楽全般に対する深い理解が必要。人間的にも未熟ではとてもつとまりません。
カラヤンは大柄ではありませんが、指揮台に立つと団員にはかなり偉大に見えたようです。
一方、莫大な収入があるので私生活も結構派手です。3回目の結婚でフランス人のエリエッテさんを夫人にし、オーストリア郊外の大豪邸に住み、別荘を複数所有するほか、ジェット機、ポルシェ、ヨットなどを自分で操ります。
こうした派手な私生活も彼自身のカリスマ力をアップすることに貢献していたものと思われます。
年収は600万ドル(1985年頃の為替だと日本円で約14億円)以上はあったものと推定されているようですが、正しい数値はわかりません。
なお、カラヤンの私生活を垣間見れるドキュメンタリーが、「カラヤン・イン・ザルツブルク」です。これは昔、ビデオやレーザーディスクで販売されていました。また、NHKで放送されたこともあります。オーストリア郊外にある彼の邸宅や愛車のポルシェターボにエリエッテ夫人と乗り込むシーン、本番前のリハーサルや、ジェシー・ノーマンとの競演どが見られます。
ベルリンフィル黄金時代を築いたのはカラヤン
ベルリンフィルはカラヤンが就任する前から世界的名声はありましたが、ベルリンフィルの黄金時代を築いたのは間違いなくカラヤンです。
60年代から70年代にかけてが黄金時代とされています。この時代のベルリンフィルの演奏を聴くと、とにかく自信に満ち溢れたダイナミックな演奏という表現に尽きます。
世界トップクラスオケの団員というプライドを感じるのです。全てのパートから光輝くような生き生きととした音が聴こえる・・そんな感じです。
第九のリハーサルあたり(下の動画)を見て頂ければその気迫が伝わるかと思います。
カラヤンとベルリンフィルの黄金時代の演奏を聴きたい方は70年代のものを中心に聴いてみるといいでしょう。30日間無料体験で高音質のカラヤン&ベルリンフィルが効き放題です。
ちなみに当サイトではカラヤンとベルリンフィルのレコーディング検索ができますでの年代で区切って調べてみてください。
1989年にカラヤンが亡くなった直後に日本でもCDなどがかなり売れたようですが、70年代や60年代のものが多かったそうです。80年代でもチャイコフスキーの悲愴とかベルリンフィル100周年記念コンサートとか名盤はあるのですが、やはりカラヤンとベルリンフィルの黄金時代の魅力的な演奏は70年代に多く集中するのです。
ビジネスセンスに長ける
そして、経営力(ビジネスセンス)も優れています。やはりいい人材を集めるには高待遇でないとだめです。
そこで、膨大な数のレコーディングをし、世界中にレコードを売りまくったり、世界ツアーを定期的に実施しますが高いチケットも即完売!
その結果、団員の給与は上昇し、ステータスを求める超一流プレイヤーを世界中から自然に集めることに成功したのです(ただし、オーボエのシェレンベルガーなど、カラヤンの一本釣りもたまにあるが・・)。
コンサートのプログラムもお客が入るようなポピュラーな曲をメインにします。日本ではベートーヴェンとかブラームス、チャイコフスキーなんかが非常に人気があるのでそれらを中心にプログラムを組みます(日本公演のプログラムを見るとわかります)。
なお、過去にウィーンで公演したオペラを国営放送が流す予定でしたが、カラヤンは製作したレコードやビデオが売れなくなると主張し強く反対します。彼は絶対に妥協しないことで有名であり、とうとう放映は中止されました。
一方、カラヤンは早くから映像について非常に興味を示しており、すでに1960年代からベルリン・フィルやウィーン交響楽団とのレコーディングを映像として残しています。だが当時はまだ、ビデオが普及していないためこの先行投資はリスクが高く、私財を投じたカラヤンは人生最大の財政危機に面したようです。しかし、黄金時代のベルリン・フィルの最高の演奏を残した数々の映像は、まさに彼の生涯をかけた遺産なのです。
特に、60年代後半から70年代に収録したドイツ・グラモフォンから発売されるベートーヴェン交響曲全集はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代を象徴する作品と言えるでしょう。
個人的には、この作品の演奏は他の全てのレコーディングをはるかに凌ぐ最高傑作であると思います。ライブ形式とスタジオ形式の2種類があるが、スタジオ形式については、演奏家がカメラチェンジごとにコロコロ変わり、映像的に切り貼り的な印象を与えるのはいただけないものでありましたが、演奏家は当時の黄金時代を支えるトッププレイヤーばかりであり、この中には現代最高のフルート奏者であるJ・ゴールウェイや邦人初のプレイヤーである土屋邦雄氏らの若き日の貴重な映像も見られるのは嬉しい限りです。
この交響曲全集のすばらしさはハイレベルな演奏だけではありません。交響曲第3番「英雄」と第7番では、フランスの演出家フーゴ・ニーベリングによる度肝を抜く画期的演出があったのです。オーケストラ団員を雛人形を乗せる雛壇のようなセットに放射線上に美しく配置し、カラヤンがその放射線の中心となるようにしました。最上段はおそらく4m前後あったのではないでしょうか。
どの位置からもカラヤンの指揮を容易に見ることができ、理想的な形ではないかと思います。映像を見る側としても新鮮味抜群であり爽快感があります。
また、交響曲第6番「田園」では、なんと床が様々な蛍光色に変化するというもので大変美しい。こちらは1960年代後半に作成されており、カラヤンの先見性を垣間見ることが出来ます。
1988年頃、この全集はまだLDではなく確かVHDだかビデオディスク(?)だかという形で売られていたような気がします。どうしてもこの全集を手に入れたくて、これを再生するプレイヤーを探し回り、秋葉原の石丸電気で見つけたのですが、LDが普及し始めた頃なので店員からは勧められなかった。が、翌年カラヤン死去後LDとして販売されることになったのでこれを購入しました。不幸中の幸いでありました。
とにかくカラヤンは商売上手であることに間違いはありません。
熱心な後進の指導
ビジネスにおいては強引な手法が多かったですが、後進の指導については精力的に活動しました。指揮者であれば小澤征爾氏、マリス・ヤンソンス、バイオリンならムター、ピアノならワイセンベルグやキーシンなどなど。彼ほど若い人に多くのチャンスを与えた指揮者など他にはいないでしょう。
カラヤンがまだ指揮者として駆け出しの頃、たった一言のアドバイスさえ先輩からもらえなかったようです。そういった苦労があるからこそ、後進から頼られれば力になってあげたいと考えるようになったのでしょう。
ビジネスを強調した活動が目に付きますが、商品が売れるからこそベルリン・フィルの団員の収入もアップし良い楽器を手にすることができ、そしてそれがテクニックとともに音色をさらにレベルアップさせるのだと私は思います。ベルリン・フィルの黄金時代と団員の高給の基礎はカラヤンが築いたものなのです。
実際にベルリンフィルには世界中から優れた演奏家がオーディションを受け、OBにはフルートのゴールウェイやニコレなど世界的に有名なソリストもいるのです。
カラヤン公式サイト
カラヤンの公式ページがあります。カラヤンの幼い頃の写真やエリエッテや二人の娘たちとの写真もあり、結構楽しいです。探してみてください。残念ながら日本語には対応していません。
カラヤンは美男子なので、どの写真を見てもホントに絵になりますね。
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